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福岡地方裁判所 昭和50年(行ウ)2号 判決 1977年12月27日

原告

城之内義観

ほか七名

右訴訟代理人弁護士

谷川宮太郎

ほか一六名

被告

福岡県教育委員会

右代表者委員長

田北一二三

右訴訟代理人弁護士

堤千秋

ほか八名

主文

一  被告が原告らに対して為した別紙五記載の昭和五〇年二月五日付各懲戒処分を取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

1  原告らは「被告が原告らに対して為した別紙五記載の昭和五〇年二月五日付各懲戒処分は無効であることを確認する。」又は主文第一項同旨及び同第二項同旨の判決を求めた。

2  被告は本案前の申立として「本件訴えをいずれも却下する。」との判決、本案の申立として「原告らの請求をいずれも棄却する。」並びに「訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二  請求原因とこれに対する答弁

1  請求原因(原告ら)

原告らは、福岡県下において別紙四記載の通りの各公立学校に勤務する教諭であり、福教組(福岡県教職員組合)の組合員である。

被告は、原告らの任命権者である。

被告は、昭和五〇年二月五日、原告らに対して、別紙五のとおりの理由により、同記載のとおりの懲戒処分をした。

しかし、本件処分は、地教行法(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)三八条一項に反して違法になされた処分で、重大かつ明白な瑕疵を有し無効であるか、又は取消されるべきものである。

なお、原告らは、昭和五〇年二月七日、県人事委員会に本件懲戒処分につき行政不服審査法による不服申立てをしたが、同委員会は、同月一日現在不利益処分取消請求事件五八件(六万二九九七名)をかかえて機能を失つており、迅速な裁決は期待できず、行政事件訴訟法八条二項三号の場合にあたる。

2  答弁(被告)

原告ら及び被告の地位身分及び被告が原告ら主張の如き懲戒処分を行つたことは認める。本件処分が原告ら主張の如き瑕疵を有することは否認する。

第三  被告の抗弁とこれに対する答弁

1  抗弁(被告)

一、本案前の抗弁

(1) 無効確認の訴えの原告適格は、行訴法(行政事件訴訟法)三六条に規定されている。本件処分は減給、戒告であるが、その無効確認を求めることは、右条項に定める適格のいずれにも該当しない。

(2) 原告原、同国松に対する処分は戒告であるところ、戒告は法律上の効果(不利益)を伴わない行政監督権の作用である。従つて戒告は行政訴訟の対象となる行政処分に該当せず、その処分の取消しを求める訴えも不適法である。

(3) 本件訴えは地公法(地方公務員法)五一条の二の要件を欠くから不適法である。

二、本案についての抗弁

(1) 原告らは、別紙五記載の通りそれぞれストライキに参加し、地公法三七条一項に違反する行為を行つたので、被告は、同法二九条一項により、本件懲戒処分を行つた。

(2) もつとも原告らについて、夫々管轄の地教委(別紙四、並びに同六参照)から地教行法三八条一項に基く処分内申「書」が提出されていないことは認めるが、後記の如く内申「書」が提出されていなくても内申があつたと認められる場合がある。また、同法三八条一項は別紙七の通達(以下一〇・四通達または本件通達という)の通りに解釈するのが正当で、特別な事態のもとでは内申がなくても任命権を行使して懲戒処分を行うことができる。以下述べる通り、本件処分はそのいずれかに該当するから、適法である。

(3) 本件処分の適法性について。

イ 原告ら市町村立小中学校に勤務する教育公務員について懲戒権は県教委(県教育委員会)にあり、監督権は地教委(市町村教育委員会)にあつて、地教行法三八条一項は両者の協働関係を示したものである。市町村立小中学校の教職員は地方公務員として地公法上の服務義務を遵守すべきものであり、若しその違反があるときは、違法性の軽重により地教委はあるいは自ら注意・訓告を行い、あるいは県教委の指示に従つて懲戒処分に付すべきことの内申をなすべきである。他方県教委は、これら県費負担教職員の服務監督につき地教委に対し一般的指示権(地教行法四三条四項)を有し、かつ、教育に関する事務の適正な執行と管理を行うため、地教委相互間の連絡調査を行う権限(同法五条)を有する。従つて県下一斉ストライキの如き重大かつ違法性の明らかな義務違反については、地教委に懲戒処分内申を求めることができる。かかる場合、地教委は、懲戒権を有せず、従つて独自の判断で内申をするか否かを決定することはできない(内申義務)。

ロ 本件は、当該地教委がいずれも原告らのストライキ参加に対し懲戒処分を相当と判断し、内申の意思を明らかにし、内申書を提出する手続をとることまで被告に言明しながら、福教組の常軌を逸した圧力に屈して内申書の提出にいたらなかつた。これは、地教行法制定当時、全く予測されなかつた異常事態であつた。

即ち、日教組(日本教職員組合)は、昭和四二年九月、第三三回臨時大会で、いわゆる一〇・二六闘争に先立ち、職場闘争を通じて校長、教頭に処分・弾圧を誘導するような県教委・警察に対する内申、通報、供述等を行わないことの事前確認をとりつける行動を決定、各単組に指示したが、更に翌四三年の一〇・八闘争で、校長・地教委に対する処分内申阻止闘争を行うことを指令した。福教組は、これをうけて内申阻止闘争を指令し、各支部ごとに多数の組合員を動員して地教委に押しかけ、集団交渉をもつてストライキの正当性を認めさせ、ストライキに対する中止の業務命令を出したり処分内申を行つたりしないことの確認を迫つた。そうして、満足な回答をしない地教委に対しては、徹底した交渉をしつように継続すると共に、宿日直拒否、校務拒否等の集団的報復措置をもつて脅迫した。これに屈伏した一部地教委教育長は、行政庁としてまことに不見識なことであるが、福教組の要求を容れて書面又は口頭でその意にそう確認をした。

しかしその確認が、各地教委の自由な意思によるものでなかつたことは明らかで、その確認にもかかわらず教育行政機関として自覚により内申書を提出した地教委も多かつたが、その場合、福教組は多数の組合員を動員して長時間にわたる報復的な吊し上げを行い、教育委員や教育長を辞職に追い込んだ(一〇・八スト山田市、一一・一三スト鞍手町、小竹町、宮田町、香春町、筑穂町、四・二七スト及び七・一九スト山田市、豊前市の例)。

他方教育行政機関としての使命感と勇気を欠いてついに内申書を提出しなかつた地教委もあり(一〇・八スト小竹町、宮田町、嘉穂町、穂波町、桂川町、庄内町、筑穂町、稲築町、頴田町、碓井町、豊津町、七・一〇スト及び一一・一三スト碓井町、桂川町、五・二〇スト及び七・一五スト田川市)、本件各ストライキにおける当該地教委もそれである。

ハ 福教組は、この「成果」を高く評価し(昭和四九・五・一〇第三八回定期大会報告)ているが、その中で、全員動員を背景とする徹宵団交、地教委委員への自宅訪問、地区労、自治労との共闘を自認し、特に行橋、京都地区の福教組行橋京都支部が行つた闘争は、はげしいものであつた。即ち、連日の、時には全員による徹夜交渉、地区労・解放同盟・革新議員への協力要請、全組合員による内申不提出の要請行動も行われたのである。

大牟田、田川関係でも同様な内申阻止闘争が行われた。

これを地教委の側からみるならば、即ち正常な活動を行う委員会の機能が抑圧、阻害され、教育行政機関としての機能を失つたことにほかならない。

このことは、本件内申に関して各地教委に対し被告が内申書提出の要請を行い、そのときに得た地教委側の応答によつても明らかで(別紙六参照)、要するに本件三市一町一組合の地教委は、内申阻止闘争における福教組の圧力に屈伏して、その機能を喪失したものである。

ニ もともと教育公務員のストライキは、児童、生徒の面前で違法行為を公然と行うもので、はかり知れない教育上の害毒をもたらす。従つて、教育委員会としては、懲戒処分を行つて教職員に反省を求めると共に、先生も悪いことをすれば処分を受けるという事実によつて、破壊された教育効果を回復する以外に方法はない。

しかるに本件三市一町一組合の地教委は、福教組の圧力に屈して教育行政機関としての機能を失い、いずれも処分内申の意思を有しその旨被告に表明しながら、あるいはすくなくとも懲戒権発動の要否についてはその意見を表明しながら、内申書の提出にはいたらなかつた(別表六「地教委側の応答」。田川市教委の如く内申すべきことを議決し、内申書を作成していたところもあつた。)。

従つて、このような場合は、本件ではすでに各ストライキ直後に被告に対するストライキ参加者の報告がなされている事実(これに基いて給与減額が実施されている)とあわせて内申書の提出がなくとも内申が為された場合に該当する(内申の不要式行為性)。即ち、懲戒処分内申の要件を考えると、服務規律違反の事実摘示とこれについての懲戒権発動の要否の意見が表明されれば足るからである。また仮りに後者についてこれがなくとも本件では内申すべき場合に恣意に内申を怠つたものとして法的には、懲戒権発動の要否について意見の表明があつたものと評価されるべきである。

ホ かりにそうでないとしても、原告らに対する懲戒処分が行われないままで放置しておくことが許されないことは自明の理である。

即ち、地公法三七条一項が、いわゆる限定解釈を行わなくても合憲であることは、現在、最高裁大法廷判決によつて明らかである。最高裁判例のもつ判例統一機能、国家生活における法的安定の要請上、この判例の到達した結果は実務上最大の尊重を受けなければならない。

原告らは、明白にこれに違反してストライキを行い、公務の停廃を招き、児童・生徒の教育上も重大な悪影響をもたらした。他方県下多くの地教委は、福教組の内申阻止闘争にもかかわらず処分内申を行い、その結果同じストライキに参加した県費負担教職員相互間に処分をうけた者とうけていない者とが生じ、公平を欠き、これが鋭く批判される状態を生じている。これは条理上もとうてい容認できないところである。そうだとすれば、本件は、別紙七の通りの地教行法三八条一項の正当な解釈に則り、内申がなくても処分を為し得る場合にあたる。

よつて本件処分は適法である。

(4) なお、本件処分の妥当性(裁量権濫用の不存在)について。

懲戒処分は、特別権力関係の内部における監督作用であるが、たまたまその効果が市民的権利の侵害を伴う場合に、抗告訴訟の対象となるにすぎない。従つて、裁判所は三権分立の建前によつて、平素職員の監督にあたり庁内の事情に通ぎようする任命権者の裁量をまず尊重すべく、重大明白な裁量の誤りがないかぎり、みだりにこれを取消すべきではない。職員の義務違反が認定される以上、ことに停職以下の処分について裁判所が裁量権濫用を認めて取り消すことは、本来考えられない筈である。

行政庁の判断作用の当、不当と違法、適法とを混同し、公務の秩序保持を軽視して安易に裁量権の濫用を認めるべきではない。

2  抗弁に対する答弁(原告ら)

一、本案前の抗弁について

(1) 原告適格について。減給、戒告の懲戒処分を受けた県職員は、「昇給期間を良好な成績で勤務したとき」という昇給の要件を欠くものとして昇給延伸の扱いをうけ、その効果は退職時まで続き、退職手当や退職年金にも及ぶ(福岡県職員の退職手当に関する条例二ないし五条、地方公務員等共済組合法四四条等参照)。さらに懲戒処分は履歴事項として昇任その他将来の処置にも影響を及ぼす。従つて、これらの不利益を包括的に一挙に解決するためには、単に減給相当額の給付請求訴訟(減給の場合)等個別の救済手段では足りず、その根源を為す本件懲戒処分の無効確認を求めるのがもつとも適切である。即ち原告らは、行訴法三六条にいう無効確認を求めるにつき法律上の利益を有し、現在の法律関係に関する訴えによつて目的を達することができないものにあたる。

(2) 戒告に対する抗告訴訟について。戒告も懲戒処分としてそれ自体制裁的実質を有し、前記の通り昇給、処遇に軽視できない影響を与える。よつて地公法は懲戒処分の要件を厳格に法定し、職員の身分を保障すると共に救済制度も保障している(同法二九条一項、二七条三項、四九条の二)。なお同法四九条一項は、戒告も含めて地公法上の不利益処分と規定している。被告は懲戒処分をもつて特別権力関係内部の自律権であるかの如き主張をするが(第三、二の(4)参照)、これは実定地公法と相容れないものである。

(3)地公法五一条の二の要件について。請求原因の記載参照。

二、本案の抗弁について

被告主張の(3)は、日教組、福教組がその主張の如きストライキ(あるいは一斉休暇闘争)を行つたこと、被告がこれを違法として懲戒処分をもつて対処してきたこと、その態様は別として福教組が地教委に「処分内申を行わないこと」を求めてきたこと、本件三市一町一組合の地教委以外の地教委にも、内申書を提出しないところが出て来たこと、別紙六のうち被告が本件三市一町一組合の地教委に、対してその主張の間にその主張の如き回数にわたつて内申書提出を要請したこと、は認める。

しかし、被告主張の「内申阻止闘争」の内容は、いちじるしく組合側の意図や闘争の内容を歪曲したもので、これを否認する。本件不内申が被告主張の如き内申阻止闘争の結果であることも否認する。

(1) いわゆる政令二〇一号体制に基く国公法(国家公務員法)、地公法等の公務員争議権剥奪とシヤープ勧告に基く財政面での中央集権化、地教行法制定(昭三一)、警察法改正(昭二九)に基く警察と教育に関する中央集権化等地方自治の本旨に反する施策によつて、地方自治は形骸化していつたが、官公労働者は「自らの生存権は自らの手によつて守らなければならない」ことを自覚し、昭和三〇年代以後、きびしい刑事制裁、懲戒処分にもめげず、ストライキを組織しはじめた。

そうして公務員労働者は、最高裁のいわゆる全逓中郵判決(昭四一・一〇・二六)、都教組判決(昭四四・四・二)によつて、争議行為に対する刑事罰からの解放もかちとつたが、政府は刑事罰にかわつて争議行為参加者に対する全員懲戒処分の政策を打ち出した。

なかでも政府の日教組に対する大量処分政策は他の公務員労組と比較にならないほど徹底され、日教組は組合員の処分に対する補償(昇給延伸補償を含む)のため昭和四四年度には一四億円余の財政支出を余儀なくされたがその額は毎年上昇して、昭和四九年には三四億円余に達している。特に被告の福教組に対する処分はすさまじく、補償費も昭和五〇年度では全国の二分の一を超えるものと推定される。

(2) この大量処分政策は、次第に世論の批判をうけ、各都道府県教委も消極的態度をとるようになつたが、被告は文部省の意図にもつとも忠実にその実施を続けた。そうして、学校建築補助費等によつて県教委に事実上隷属させられている地教委は被告の方針、通知、通達のほとんどをそのまま執行して来たのである。

しかし福教組は、地教委に対し処分の苛酷性、ことに終身つきまとう昇給延伸等の経済的不利益、前記世論の動向等を説明し、処分問題の解決を服務監督権者としての地教委の良識に訴えた。

その結果、地教委は被告に昇給延伸回復措置要請や、処分緩和要請を為すようになり、処分内申提出を拒む地教委も相当数に上るようになつた。従来、地教行法三八条一項の内申については、県教委は内申の内容には拘束されないが、内申なきときは処分ができないと解され、そのように運用されていたため、被告は、遂に全県的な処分発令をなし得ざるにいたり、ここに政府(文部省)の大量処分政策は挫折せんとするに至つた。

このような情勢のもとで、本件のいわゆる一〇・四通達が発せられたのである。

(3) この通達の見解(被告の内申に関する見解もこれによる)は、きわめて恣意的な解釈である。地教行法は、単に県費負担教職員の人事行政を適正かつ円滑に行うためというに止まらず、「地方自治の本旨」の尊重の要請にこたえるために地教委に内申権を付与したのである。

戦後地方自治が憲法上の原則とされ、地方分権化が進められたが、とりわけ市町村自治の充実には重点がおかれた。地方自治法も市町村を「基礎的な地方公共団体」と定め、担当事務の定めをみてもその趣旨は明らかである(二条四項、六項)。教育事務についてももつとも基礎的な義務教育(学校)の設置は市町村の事務である(同法二条三項五号、学校教育法二九条、四〇条)。従つて、市町村立小・中学校の設置運営は教職員人事を含めて市町村の事務に属し、地教委がその創意と責任において処理すべきは当然である(旧教育委員会法四八条一項、四九条五号)。

ところが昭和三一年制定の地教行法は、この地方自治本来のしくみに重大な変更を加え、いわゆる県費負担教職員の任命権を地教委から県教委に移した。これは、県費負担教職員の広域人事の必要性を理由とするものであつたが、その措置は地方自治の本来のあり方からはなれるものであつた。よつて、憲法との適合性を保持する上で、法は県費負担教職員任命権を機関委任事務とし(地方自治法一八〇条の八の二項別表第三)、本来的な任命権者(地教委)の意思を任命権行使に反映させるため、内申制度を設けたのである(よつて単なる協働関係ではない)。

従つて、ときに地教委の意思により(たとえば処分内申を行わないこと)、県教委の任命権行使が抑制されることがあつても、それは内申制度がもともと予想した事態というべきである。更に、地教行法は県費負担教職員の服務監督権を地教委に留保した(四三条一項)。地教委は都道府県教委より県費負担教職員の身近に位置しかつ日常的にその服務監督を行つているので、服務監督権のない都道府県教委は地教委の判断をまたなければ、その任命権特に服務規律違反に対する懲戒権の行使を適正になし得ない。そうだとすれば、この点は当該教職員の身分保障の意義をも有し行政手続における公正保障の要請にもそい、(不適正ないし恣意的な処分の防止)、任命権の円滑な行使という行政上の便宜のみから「内申をまつて」の要件をゆるやかに解することは許されない。

(4) 更に一〇・四通達は、「内申すべき客観的な必要がある場合」に地教委の内申義務をいうが、その「内申すべき客観的な必要」がある場合とは要するに都道府県教委から具体的な内申を求められた場合であるとするに帰し、地教委の主体性、裁量権を無視し、とうてい地教行法の合理的な解釈とはいえない。なお地教委が内申を行わないということは、地教委が権限の行使を怠つたのではなく、その場合の具体的な任命権の行使を望まない意思の表明と解すべきは明らかである。

また、地教委が具体的な任命権行使を求めて内申しても、都道府県教委はその内容に拘束されず、任命権の行使を控えることもできるのであるから、内申を任命権行使の要件と解しても地教委がその意思を一方的に任命権者におしつける関係を定めているということにはならない。

(5) 本件三市一町一組合地教委が内申をしたと同様に評価されるべきである点の主張について。もともと本件で被告は内申書の提出をもつて内申行為があつたとして来たのであつて、そのため、各地教委に執拗に内申書の提出を求めて来たのである。現に被告は三市一町一組合の地教委が内申を怠つたと非難しているのであつて、この点に関する被告の主張は全く理由がない。

(6) 各地教委の内申書不提出の理由

イ 田川市教委

同市はいわゆる旧産炭地域で、教育環境が整備されておらず、多くの教職員は「識字学級」、「補充学級」、あるいは子ども達の非行化防止諸活動に努力し、勤務時間を一時間とか半日とか欠いた程度では計り知れない苦労を日常的に払つて来た。またストライキで欠けた分の授業は、その後の教育活動で十分回復されている。市教委はこのことを知つているので処分内申について画一的・機械的適用をさけ、慎重に配慮しようとしたのである。同市教委は、教育長に内申書の提出時期を一任した事実があるが、教育長がその提出を留保したのは、被告が処分問題に関する限り一方的に期限を定めて提出をせまり地教委の主体性、現場の教育事情を無視して来たからである。

ロ 行橋市教委、長峡中組合教委

同市教委も、内申書不提出の基本的な理由は教育現場の実情を重視すべきであるという点にかわりはない。同市は人口の約一五%を占める同和地区を有し一〇〇人以上の教職員が「同和教育」に従事している。このような教職員の熱心かつ誠実な教育実践よりも、一、二時間のストライキに苛酷な処分を課することを優先させる被告の態度に同市教委が反撥したのである。さらに同市教委は、ストライキ即処分という点に疑問を抱き、処分については地教委と事前によく協議してほしいと希望し、昭和四四年七・一〇、一一・一三闘争の処分内申では「他県より重くない処分」を要請したこともあつた。しかしこれは無視され、その後の苛酷な処分のくりかえしをみて来たのであつて、同市教委は、被告の権力による教育行政に変りはないと認識して、内申書不提出の態度をとつたのである。

ハ 碓井町教委

同教委は昭和四三年一〇・八闘争以来おおむね一貫して処分内申をしていない。但し、四六年の五・二〇、七・一五闘争は、老朽校舎大改築に対する補助金等を考慮した結果、やむなく内申した。

その内申書不提出の理由は、前二者と共通するが、ことに苦しい財政事情下に、施設、設備の不備にもかかわらず教育に全情熱をそそぐ教師を目の当りにみているからである。これに対する被告の画一的な大量苛酷な処分は結局現場教師を萎縮させ、教育現場に悪影響を及ぼす。また、同じくストライキを行つても一般の県職員は幹部処分にとどめられているのに教職員のみが全員処分であり、しかも加重方針がとられ、また他の都道府県では多くが幹部処分で、昇給延伸回復も行われているのに被告はそれをしないことに同町教委は不信と批判を抱いている。

それ故、同町教委は処分内申をしなかつたのである。

ニ 大牟田市教委

同市では大牟田職労の昭和四三年一〇・八闘争以降の処分反対闘争を通じて当局に労働基本権についての認識が深まり、市長部局と市職労の間に昭和四六年以降数次にわたつて労働基本権回復にむけて労使が積極的に取り組む旨の確認があり、その結果同市教委も市長部局と同様処分を欲しない態度に移行した。

更に、昭和四八年三月三日、市職労は市長と「高令職員の退職に関する協定」を結んだが、その中に「労働基本権回復に向けて任命権者として努力する。」「教育長は市教育委員会所管にかかわる労使関係(含市教組)についても同様とする。」「現行法否定は現時点ではできないが、特別権力関係にたたないことを確認し、……」が条項が折り込まれ、この条項は同年四月二三日市教組と教育長との交渉で「労働基本権回復に向け教育長として努力する。」との確認書にもうたわれた。

その結果、同市教委は、昭和四八年四・二七、七・一五闘争については内申書を提出しなかつた。

(7) これを要するに本件三市一町一組合地教委は、(イ)被告の大量苛酷な処分政策を批判し、(ロ)公務員労働者の労働基本権回復、処分抑制の国内外の動向を感じ、(ハ)教育現場の実情を最も掌握しうるものとして、被告の前記政策の実施が教育現場にもたらす混乱をさけ、他面劣悪な労働条件下で真撃に実践活動を行う教職員の状態を無視できず、(ニ)地方自治の本旨に則り、地教行法に認められた地教委の主体性を自覚して、内申権を自律的に行使したのである。

第四  証拠<略>

理由

一請求原因事実中原告ら及び被告の地位身分及び被告が原告ら主張の如き懲戒処分を行つたことは、当事者間に争いがない。

二本案前の抗弁について

原告らは、本件懲戒処分の無効確認「又は」取消を求めるが、原告らが後記の如く行訴法八条、一四条により適式に訴を提起していることが認められる本件では、取消請求を主位的請求、無効確認請求を予備的請求と判断するのが相当である。そこで、無効確認の訴えの原告適格についてはしばらく措き、戒告は地公法二九条一項の各号に定める要件のあるときに行われる懲戒処分の一つであつて、福岡県市町村立学校職員の懲戒手続は福岡県立学校職員の例によるとされ(福岡県市町村立学校職員の懲戒に関する手続及び効果に関する条例)、福岡県職員の懲戒の手続及び効果に関する条例によれば「戒告処分は、任命権者が当該職員に、その責任を確認させてその将来を戒める旨を記載した書面を交付して」行うものとされる(二条一項)。そうして、法律、条例上は、他にその効果に関する直接の規定はないが、原告らいわゆる県費負担教職員の給与は福岡県公立学校職員の給与に関する条例が適用され(一条)、その八条(初任給、昇格、昇給等の基準)四項によると、昇給は「職員が現に受けている号給を受けるに至つた時から、十二月を下らない期間を良好な成績で勤務したとき」に行われる旨の規定がある。しかして、証人槇技元文、同白石健次郎の供述によれば、右給与条例八条四項の運用として右の期間内に戒告を含む懲戒処分をうけたときは「良好な成績で勤務した」と認められず、三カ月間昇給を延伸され、将来にわたつて特別の回復がなされない限り延伸の効果が持続する不利益をうけることが認められる。この認定に反する証拠はない。そうだとすると、当該職員の側にいわゆる定期昇給請求権の存在を認めるわけではないが、「定期」昇給の名の如く一定の基準に該当する場合は通常誰でも昇給の措置をうけている場合(公知の事実)これを期待するのは当然であり、それは法律上の保護に価する利益というべく、戒告処分という行政庁の行為によつてそれが違法に侵害されたか否かの争いがあるときは行政訴訟をもつてその取消しを求める訴えを提起できるとするのが相当である。

なお弁論の全趣旨にてらすと、原告らは請求原因記載の如く本件懲戒処分について行政不服審査法による不服申立てをした。そうして本件訴えの提起もまた同日であることは、記録上明らかであるが、すでに審査請求の日から三カ月を経過したことが明らかな現在、仮りに行訴法八条二項三号の要件がないとしても同項一号の要件が充足され、瑕疵は治癒されたものである。

よつて被告の本案前抗弁事由(2)(3)はいずれも採用できない。

三地教行法三八条一項の解釈

1  憲法は地域社会の自治に民主政治の基盤があるものとして、地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて法律でこれを定めることとし(九二条)、地方公共団体に、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を保障した(九四条)。

地方自治法は、市町村をもつて基礎的な地方公共団体とし(二条四項)、特に都道府県が処理することと定められた高等学校、盲学校、養護学校を除いて、一般的に学校の施設の設置、管理、その他教育に関する事務は市町村が行うことを定めた(二条四、六項、三項五号参照)。学校教育法はこれをうけて市町村に小・中学校の設置義務を課し(二九条、四〇条)、旧教育委員会法は地方教育委員会(市町村に設置する教育委員会)は当該地方公共団体の設置する学校その他の教育機関を所管し(四八条一項)、その教職員の任免その他の人事に関する事務を行うものとした(四九条五号)。なお当時委員はいわゆる公選であつた(同法七条)。

2  しかし、地教行法(昭三一・法一六二)は、教育委員会法を廃止し、教育委員の地方公共団体の長による任命制を採用した(四条)。そうして、いわゆる県費負担教職員の任命権を都道府県教育委員会に属せしめた(三七条一項)。これは広域調整人事の必要に応じたわけであつたが、同法はなお市町村立小・中学校教職員の身分は市町村の公務員とし(三七条一項、三五条)、地教委がその服務を監督するものとし(四三条一項)、都道府県教委は、地教委の行う右服務の監督等につき、一般的指示権を有し(四三条四項)、また地教委相互の連絡調整を行うもの(五一条)としている。

そうして同法(地教行法)は、都道府県教委がその任命権を行使するについては地教委の「内申をまつて」行うものとすると規定した(三八条一項)。

以上の如き県費負担教職員に関する都道府県教委と地教委との関係に鑑みると、地教行法は、市町村立学校に勤務する県費負担教職員の人事、とくにその任免その他の進退については、都道府県教委が独断で行なうものではなく、服務監督権者である地教委の意見を反映させて主体的な相互の協力によつて人事行政の適正かつ円滑な運営、あるいは又、教育水準の維持等を図ろうとしたものと解される。

従つて同法三八条一項にいう「内申をまつて」との要件も、右の趣旨に沿つて解釈されるべきである。

しかるときは、都道府県教委が県費負担教職員に対して任命権を行使すするには、原則として地教委による内申がその要件とされているものと解するのが相当である。そしてこの場合に地教委が内申するか否かは、その独自の裁量に委ねられているものというべく、たとえ都道府県教委が内申をすべき場合と判断したとしても、そのことで直ちに地教委に内申すべき義務が生ずるものとは到底考えられない。けだし、地教委による内申があつたばあいでも、都道府県教委は、その内申の趣旨を没却するものでない限り、内申の内容に拘束されることなく独自に任免権を行使しうることの反面として、地教委の側においても、一応内申すべきか否かを独自の立場から判断することができるものとみるのが、前述の地教行法の立法趣旨に沿う所以と解されるからである。

しかし他方、地教委の内申のないことが、地教委に内申権を留保せしめた趣旨に反して、その独自の判断、裁量に基くものではないという場合、例えば内申によつて不利益をうける側の暴行脅迫又はこれに類する違法不当な圧力によつて地教委が内申をしたくともそれが出来ないという場合にあつては、民法一三〇条の趣旨を類推し、またそのような場合内申の欠缺の主張を許すことは信義則に反するという見地に照らしても、例外的に地教委の内申がなくとも都道府県教委は内申があつたと見做してその任免権を有効に行使しうるに至るものと解される。ただこのように解するとしても、地教委が自主的な判断に基き内申しないことに決定した場合においてまで、都道府県教委の方で内申すべき場合であると一方的に判断し地教委に内申(書の提出)を説得し続け、しかも都道府県教委の右判断が正当で且つ地教委の説得について最大限の努力を尽したからといつて、内申抜きの任免権の行使が有効とされるに至るものでないことは前述したとおりである。けだし、右の如き事態をもつて内申抜きの任免権の行使が有効とされるに至つては、前述の如き地教委による内申は任免権行使の要件であるとの原則が実質上大きく後退してしまうことになり、都道府県教委と地教委の関係についての地教行法の立法趣旨(前述)にも悖る結果となりかねないからである。

3  被告は、内申すべき場合に内申をしない場合の不都合をいうが、以上の趣旨にてらすと、都道府県教委は(どのような場合が内申すべき場合にあたるかは別として)、地教委に内申をうながし、極力任命権者としての職責を果たすことにつとめるべきではあろうが、終局的に内申が得られなかつた場合は、任命権を行使できなくなつても法の建前からやむを得ないのである。若しそれが地教委側の職務懈怠によるものであるとすれば、そのような委員を任命した首長、任命に同意した議会の政治的責任ともなり、場合によつては委員の罷免や解職請求の問題となるものと解される(地教行法七条、八条)。

4  そうして、このように解したとしても、それは一方から他方への「押し付け」ということではなく、前述したとおり、地教委が内申しても都道府県教委がその内申に内容的に拘束されるわけではなく、任命権を行使しないことさえできるのであるから、いわば均衡はとれているわけであつて、このことは、処分内申の場合であつてもかわりはないと解される。

被告は、懲戒権を有しない地教委は、独自の判断に基いて処分内申をするか否かを決定する権限はないと主張するが、前記の如く服務上の監督権者は地教委であることを考えると、特定の行為(本件の場合は争議行為)に対して直ちに懲戒権の発動を求めるか否かの裁量権は有するものというべく、ただその裁量権行使の当否が、前述の如く首長、議会、あるいは地教委委員の責任問題となり得るにすぎないと解するのが相当である。

四本件処分内申要請と各地教委の応答並びに教職員組合の行動について

1  事実第三1の二(被告主張の本案についての抗弁)の(3)のうち、日教組・福教組がその主張の如きストライキを行つたこと、被告がこれを違法として懲戒処分をもつて対処してきたこと、その態様は別として福教組が地教委に「処分内申を行わないこと」を求めてきたこと、本件三市一町一組合の地教委以外の地教委にも内申書を提出しないところが出て来たこと、別紙六のうち被告が本件三市一町一組合の地教委に対してその主張の間にその主張の如き回数にわたつて内申書提出を要請したことは、当事者間に争いがなく、原告らは、夫々別紙五の通り各争議に関与したことは、原告らが口頭弁論においてあきらかに争わないから自白したものとみなす。

2  <証拠>をあわせると、福教組は、昭和三三年五月七日いわゆる勤評反対一斉休暇闘争以来本件各ストライキに至るまでの間「四一・一〇・二一午後半日」「四二・一〇・二六、一時間」「四三・一〇・八、一時間」各休暇闘争、「四四・七・一〇、三〇分」「四四・一一・一三、一時間半」「四六・五・二〇、三〇分」「四六・七・一五・三〇分」各ストライキを行い、おおむね八〇%を超え「一〇・二一」の場合など97.9%に達する高率の参加もあつて多数の懲戒処分をうけた組合員をかかえて来た。その処分対策の有力な手段の一つとして、県費負担教職員の処分が所轄地教委の内申をまつて行われる建前であつたところから、前記「四三・一〇・八闘争」を行う前段階で地教委に対する交渉を強化し、組合の要求の正当性を認めさせるため、分会員を動員して集団交渉を行い、文書回答を求める戦術を採択し指示して実施させた(なお校長、教育庁各出張所長交渉も同様にして実施した)。そうして闘争実施の後は、校長、地教委に対して報告や処分内申をさせない要求闘争を行い、報告や内申を行つたところに対しては校長に対するいわゆる「無言闘争」「校長招集会議拒否」、「教育長・教育庁出張所長学校訪問拒否」等、さらに地教委に対しては「内申の無効宣言要求」等を行い、その結果福教組柳川支部は休暇闘争における休暇承認を得、また築上、豊前、京都、行橋、田川市郡、鞍手、嘉穂、遠賀、宗像の各支部においては内申の年内提出を延期させる等の効果を収めた。その後の各闘争においても概ね同様の戦術を採用し、ときに地区労、解放同盟などの支援も得て夫々一定の成功をみてきた。以上は、公務員のいわゆる労働基本権の主張=争議全面一律禁止法制の否定に根拠を置く組合活動であつたが、前記の如く服務監督権者として、地域的にも日常現場教員と接触することが多く、そのため福教組と決定的な対立関係に立つことを望まない地教委は、他方県費負担教職員の任命権者であり、地教委の行う右服務監督等につき一般的指示権を持ち、校地校舎その他施設の整備等に関する事務や補助金に関する事務も掌る(福岡県教育庁組織規則四条、同出張所事務分掌規程二条等参照)被告の違法争議(特に教師の)は看過し得ないとする処分内申要請との間に板ばさみとなり、県下の相当数の地教委で動揺と混乱が続いたことが認められる。

二、三の例をあげると、昭和四三年一〇・八闘争で山田市教委は組合に内申をしない旨の確認を文書で行い、その責任をとるということで全委員が辞職した。その翌四四年新しい委員会は右確認破棄を通告して組合側(嘉穂山田支部)の強い抗議に遭つた。その交渉では同支部が約一四〇名の動員を行い、一部は教育長室にはいつて教育委員長に抗議するなどの事態にいたり、教委側は警官を導入して組合員を退去させた。その直後同市教委は処分内申を決定して全委員が辞表を提出した。

また昭和四四年の一一・一三ストライキでは嘉穂郡下各町教委は福教組嘉穂山田支部と処分内申を組合に無断ではしない旨の確認をしていた。ところが被告の要請を受け、一部地教委に内申を行う動きが出てきたのを知つた教組側は、同年一二月八日から各町ごとに内申を出さないことを要求して交渉にはいつた。うち筑穂町では翌九日に再開した交渉で教委側が処分内申をする意向を表示したため、町内小中学校教師約一三〇人が交渉現場(中央公民館)に集り、二、三時間にわたつて授業に空白を生じ、定期考査を中止した中学校もあつた。筑穂町教委は教育現場の混乱をまねいたこと等の責任をとるとして教育長を除く委員が辞表を提出し、教育長も辞意を表明した。

類似の事態は、本件の昭和四七年五・一九ストライキでも生じ、同年八月一一日、京都郡苅田、犀川、豊津、勝山各町教委教育長は福教組行橋京都支部長、行橋京都地区労議長、部落解放同盟京都行橋地区協議会に対し、一方的に処分内申をしない旨文書で確認したが、被告の要請により八月一八日内申書を提出した。そこで、組合側の激しい抗議をうけ、委員の辞表提出や被告に対する内申書返却要請等の混乱があり、最終的に右各地教委は被告に自らのなした内申は無効である旨通知した。

以上のほか、本件昭和四八年四・二七ストライキでも同様の混乱で山田市教委の全委員、豊前市教委教育長が辞表を提出した。

以上の如き状況はあつたが総じて委員の辞任等にまで混乱したのは、内申をしないこと若しくはその趣旨にそつた確認を教組側ととりかわしてしかも内申を行つたかあるいは内申の意向を示した事案であつたことは否定できない。

前掲各証人、本人の供述中この認定に反する趣旨の部分は措信できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

3  本件各地教委の場合

<証拠>をあわせると、以下の如き事実が認められる。

(一)  大牟田市は昭和四七年当時、市財政赤字解消対策として市職員の団体である市職労、現業評議会、水道労組を相手に高令者退職協定を締結する交渉を行つており、同年五・一九ストライキの処分内申を同市教委が被告の要請に対して直ちに行うことは、右協定を成立させる支障となるおそれがあつた。そこで五・一九ストライキの場合は、被告の要請に応じて直ちに内申することなく、翌四八年一月三〇日にいたつて、処分は慎重に行つてもらいたい旨の要請を付して内申した。

ところで前記の協定は、昭和四八年三月三日成立したが、その内容に市側は労働基本権回復にむけて努力する旨の一項があり、更に同年四月二三日同市教育長は福教組大牟田支部長あて「労働基本権回復に向けて教育長として努力する」旨の確認書をさし入れた。以後右協定は一年ごとに更新されることとなり、市側はこの協定が維持されることの財政上の利益のため、その破棄につながるおそれのある行為を避ける必要があり、市長部局の意向を汲んで市教委も教組側の要求により、昭和四八年四・二七、七・一九ストライキについては業務命令も特に発することなく被告主張の如き度重なる督促をうけながら本件処分内申をしなかつた(昭和五〇年二月四日、被告に内申を行わない旨最終的に通知)。

(二)  行橋市教委及び同市苅田町立長峡中学校組合教委は、概ね同一歩調をとつて被告主張の如き度重なる督促をうけながら別紙六地教委側の応答欄記載の如く被告に弁明しつつ最終的には処分内申をしなかつた。委員会が内申をしなかつた理由もおおむね右弁明の線にそうものであつて、本件各争議を特に合法と評価した上でのことではなかつたが、現場の組合員らに直接接触している地教委として現場の教員には平常本務外のことにも協力して貰う必要があつたし、また地教委側としては、争議に対する被告の処分が全国的にみると重すぎ地教委と教職員間の信頼と協調を破壊すると批判していた。そこで同地教委は、昭和四四年の「七・一〇」一一・一三」ストライキの処分内申をするについて特に被告に「もうすこし軽い処分」をと陳情したこともあつた。そうして、昭和四六年頃から福教組行橋京都支部の要求により事前に話し合いをして(特に同意を求めるというわけではないが)内申することとし、それによつて教組側と決定的な対立関係に立つことを避けていた。そのようにして昭和四六年の五・二〇、七・一五の前記各ストライキについても処分内申をしたが地教委としてはストライキを行つた時間(各三〇分間)からみても一般参加者たる組合員については懲戒処分はないものと考えていたところ、それに対する被告の処分は参加者全員懲戒処分という同地教委としては予想外の重いものであつた。

そこで本件の昭和四七年五・一九、昭和四八年四・二七、七・一九の争議では、組合側も内申反対の態度が強くなりいわゆる事前協議の日取りも円滑にきまらないような状況になつて来た。その間、教育長の任期満了による退職などの問題もあり基本的には処分内申をする意向を有しながら、予想される処分の重さ、これに対する監督権者としての批判、更にはその処分が為されたときの学校現場の混乱等を考える等の政策的な配慮もあつて結局被告督促の期限までには内申に踏み切れなかつた。

(三)  田川市教委は、従前被告がストライキ処分に関し、任命権者の立場から一方的な方針を定めて内申を求めるだけで、処分の範囲、程度等について服務監督権者である地教委側の意向を汲もうとする態度がみえないと批判的な態度をとつていたもので、本件前の昭和四六年五・二〇ストライキ以降被告の内申要請にもかかわらず処分内申をしていなかつた。また、その前の昭和四四年一一・一三闘争については内申をしたがその処分の選択について被告に裁量を一任することを拒否し、通常の書式文言である「適正な懲戒処分を行なうよう内申します。」にかえてたとえば「戒告処分が適当である」等と記入して内申書を提出した。その結果一一・一三闘争については田川市教委関係ではまだ処分が為されていなかつた。以上のとおりであつて、田川市教委としても教職員のストライキそのものの違法性を特に否定する意向はなかつたが、被告の処分の選択については従前から批判をもつていたものと認められる。本件の場合も同市教委は被告主張の如き督促をうけたが、その際の話として「五・一九」「四・二七」「七・一九」をまとめて一度に処分し、軽い処分を行う方針であるという意向もあつたので、同市教委は内申を行う意思を固め、内申を議決し内申書を作成した。そうして、これを封印し、昭和四八年八月二〇日、県下全市町村が内申書を提出した段階で提出することにするとの条件を付して教育庁田川出張所長に預けた。しかし、本件で明らかな如く右の条件は成就しておらず、田川市教委関係も右内申があつたとしては取扱われていない。

田川市教委がこのような方針を維持した理由は、旧産炭地で児童数の減少、予算の圧迫、生活保護家庭問題、非行生徒の指導問題、同和教育関係等教師のかかえる課題も困難なものが多く、服務監督権者としてはそのような立場にある教師がストライキを行つたからといつてただ厳しい処分(田川市教委の目からみると)で対抗するだけで済むものではないという観点に立つて問題を処理しようという判断をした点にあるものと認められる。

(四)  碓井町教委も、被告主張の如き督促をうけながら別紙六地教委側の応答欄記載の如く被告に弁明しつつ最終的には処分内申をしなかつた。

もともと同町教委は、昭和四三年一〇・八、同四四年七・一〇、一一・一三、の各争議については内申をしておらず、昭和四六年五・二〇、七・一五は内申をしたが、これは当時碓井小学校改築工事について第二期工事補助金申請中で被告から内申をしないことと補助金申請事務処理をからめて扱われるのではないかと危惧したこと、昭和四五年の嘉穂郡地教委連絡協議会で内申をして処分ずみの地教委の管内に、内申未了のため処分未了の教員を引き受ける(人事異動を認める)ことは困難であるとする議論があつたことによる。

そうして、同町教委が度重なる被告の督促にもかかわらず内申をしないで来た理由は、同町教委の判断として、必らずしも教師のストライキを合法であると容認する考えに立つたわけではないが、被告は服務監督権者である地教委の意見をききいれず過酷な処分をするという批判をしていたこと、同町立学校の教職員はストライキをやつても処分もされないという町民、父兄の非難を浴びないよう教育活動に情熱を込めて勤務していると判断していたこと、このような情況の下に処分内申をすることは、行政と現場教師との間の対話と協調の関係を破壊して教育の目的を達成できないことになると考えていたことによると認められる。そうしてその後同町教委は本件各ストライキに参加した教職員に文書訓告をした。

<証拠判断、省略>

4  以上認定の事実にてらすと、従前から内申は内申書を被告に対して提出することによつて行われ、被告及び地教委共それが為されてはじめて内申があつたものと認識していたこと、条件付きで内申書を教育庁出張所長に預けた田川市教委ですら、同市教委も被告も、それだけでは内申をしたことにはならないという認識をもつていたこと及び本件各地教委が内申書を被告に提出しなかつたのはそれぞれ独自の判断に基くもので、少なくとも先(三の2)に掲げた例外の場合、即ち内申によつて不利益を受ける原告ら組合員の暴行・脅迫又はこれに類する違法不当な圧力によつて地教委が内申をしたくともそれが出来ないという場合には当らないことが明らかである。従つて本件では内申「書」の提出がなくても内申があつたものとして評価しうる場合にあたるとする被告の主張及び内申がなくても処分できる場合にあたるとする被告の主張は、いずれも採用できない。

5  よつて、以上認定の事実によれば、本件各地教委が内申をしなかつた理由は様々であるが、前記の如くその処置の当否が直接あるいは間接に住民側から問われるのであれば格別、直ちに被告が任命権を発動していわゆる内申抜きの処分が適法とされることにはならないと解するのが相当である。

五結論

以上の理由により、被告が原告らに対して為した本件懲戒処分は、地教行法三八条一項に定める内申を欠いて違法であり、取消しをまぬがれない。

なお原告城之内については「五・一い九」につき処分内申が大牟田市教委からなされているが、他の二つの争議につき処分内申を欠くものであつて、この結論にかわりはない。

よつて、その余の点は判断するまでもなく本件懲戒処分の取消しを求める原告らの請求を認容し、訴訟費用の負担につき行訴法七条及び民事訴訟法八九条を各適用して主文の通り判決する。

(岡野重信 中根與志博 榎下義康)

別紙一原告目録<省略>

別紙二原告ら訴訟代理人目録<省略>

別紙三被告訴訟代理人目録<省略>

別紙四

原告在籍関係一覧表

(小=小学校、中=中学校)

原告名

四七年度

四八年度

現在

1

城之内

大牟田市立 三川小

大牟田市立 吉野小

同上

2

大村

行橋市立 行橋小

同上

同上

3

上野

田川市立 金川中

同上

同上

4

鈴鹿

同 弓削田小

同上

同上

5

久原

同 中央中

同上

同上

6

井藤

同 鎮西中

田川市立猪位金中

同上

7

碓井町立 碓井小

同上

同上

8

国松

同 碓井中

同上

同上

別紙五

懲戒処分関係一覧表

原告名

処分内容

関与した争議(※印)

福岡県教職員組合の役職

四七、五、一九

四八、四、一九

四八、七、一九

1

城之内

減給(三カ月間)

※※

※※

※※

大牟田支部副支部長

2

大村

※※

※※

行橋京都支部長

3

上野

※※

※※

※※

田川市支部長

4

鈴鹿

※※

※※

※※

田川市支部副支部長

5

久原

※※

※※

田川市支部書記長

6

井藤

同 (一カ月間)

※※

7

戒告

8

国松

四七・五・一九とあるのは昭和四七年五月一九日の争議。以下同様。

※※は下記組合役職にある者として当該争議を指導しかつ参加。

※ は当該争議に参加。

争議内容

四七・五・一九 始業時より一時間のストライキ(七二年春闘)

四八・四・二七 午前半日のストライキ    (七三年春闘)

四八・七・一九 始業時より三〇分間のストライキ(いわゆる人確法案・教頭法案制定反対)

別紙六

内申書提出要請の経緯一覧表

地教委

提出要請の状況

地教委側の応答

大牟田市教委

一、四七・五・一九ストライキについては、被告の再三の指導、説得の結果他の地教委に半年以上おくれて四八・一・三〇提出

二、四八・四・二七、四八・七・一九ストライキについては、昭和四八年七月二八日から昭和五〇年二月一日までの間、およそ二七回にわたる被告の教育長その他職員(担当部課長、人事管理主事ら)による面談文書手交あるいは電話による指導、説得。

大牟田市では昭和四八年八月三日、市長教育長らが市職労、同現業評議会、市水道労組と「高令職員の退職に関する協定」を締結しいわゆる六〇才退職制を実施しているが、そのかわりに当局側は労働基本権回復にむけて努力することを約束した。

更に教育長は、昭和四八年四月二三日、福教組大牟田支部との交渉で、右同旨の約束を、同月二五日、同様の交渉で四八・四・二七ストにつき就業命令を出さない旨の約束を、夫々文書で行つた。

内申書の提出は「退職協定」の破棄につながり、市の財政事情も考慮すると、早急な結論は無理である。内申書の提出は行財政再建計画の推進に市職労等の協力を得られない結果を生じ、一八億円程度の赤字をかかえた市政に大混乱をまねく。

教員のストライキが違法であることは全委員が一致した意見である。

昭和五〇年二月四日、文書により被告に内申しない旨を通知。

行橋市教委

四七・五・一九、四八・四・二七、四八・七・一九ストライキについて、昭和四八年七月三一日から昭和五〇年一月二九日までの間、およそ五七回にわたる被告の教育長その他職員(次長、部長、人事管理主事ら)による面談文書手交あるいは電話による指導、説得。

処分内申を為すべき旨の結論は全委員一致しており、最終的には内申書を提出することになる。しかし、当地教委については、事前に福教組京都行橋支部と交渉を行う慣行があり、これを無視して処分内申を行えば、教組の報復措置にあい、教育現場は混乱し正常な学校運営ができなくなる。

右のとおり応答しながら教組が交渉に応じようとしないとか、四六年スト処分の際、教組の意向により処分軽減を申入れたがきき入れて貰えなかつたとか、行橋市は福教組の内申阻止闘争の拠点になつているとか、教組は市職労と共闘態勢をとり、市職労の動向、市長部局の立場も考慮しなければならないとか、あるいは教育長及び委員一名が欠員で補充までまつてほしいとか、弁解しながら昭和五〇年一月二九日にいたつて処分内申を為すことを否決。

行橋市苅田町立長峡中学校組合教委

本件ストライキについて昭和五〇年一月一八日以前は、専ら行橋市教委に対する要請を通じて間接的に指導、説得をなし(両地教委の教育長は兼任)、昭和五〇年一月一九日から同月三一日までの間はおよそ一一回にわたる被告の教育長その他職員(担当部課長、人事管理主事ら)による面談文書手交あるいは電話による指導、説得。

概ね行橋市教委に同調して来たところ、昭和五〇年一月一九日にいたつて今後は被告の要請の趣旨にそつて検討努力するし、単独で処分内申することもあり得ると応答しながら、教育長(当時職務代行)が内申議決の助言を行えば、教組から責任を追及されるとか、一月三一日までに提出することを態度決定したとか弁明しつつ、昭和五〇年一月三一日にいたつて内申書の提出は困難であると通知。

田川市教委

四七・五・一九、四八・四・二七、四八・七・一九ストライキについて、昭和四八年七月三一日から昭和五〇年一月二八日までの間、一〇回にわたる被告の教育長その他職員(担当部課長、入事管理主事ら)による面談文書手交による指導、説得。

昭和四八年八月一八日と一九日の委員会において審議した結果、処分内申をなすことを議決し、内申書を作成した。

しかし、これを封印して県教育庁田川出張所長に預け、県下全地教委の内申議決がなされた段階で、被告に内申書を送付する旨条件を付した。

碓井町教委

四七・五・一九、四八・四・二七、四八・七・一九ストライキについて、昭和四八年七月三〇日から昭和五〇年一月二八日までの間、一六回にわたる被告の教育長その他職員(担当部課長、県教育庁嘉穂出張所長、人事管理主事ら)による面談文書手交による指導、説得。

内申書提出の方向で努力したいといいつつ、町内情勢(町議会の三分の二がいわゆる革新議員であることなど)とか、福教組嘉穂山田支部と話し合う必要があるとか、四四年の一一・一三スト内申で筑穂町教委が激しい集団的つるし上げにあい、またその動員のため同年一二月九日午前中は授業ができなかつたとか、弁解して日時を延引し、結局昭和五〇年一月一八日にいたり、内申書提出は非常に困難であると通知。

別紙七

地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三八条の市町村教育委員会の内申がない場合の都道府県教育委員会の任命権の行使について(文初地第四三四号昭和四九年一〇月四日文部省初等中等教育局長 通達)

最近、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三八条第一項の市町村教育委員会の内申がない場合の都道府県教育委員会の任命権の行使について一部の地域において問題を生じておりますが、このことについては下記のとおり解されますので、事務処理に遺憾のないようにしてください。

(問) 県費負担職員の任免その他の進退については、都道府県教育委員会は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三八条第一項に規定するとおり、市町村教育委員会の内申をまつて行うべきものであるが、都道府県教育委員会が市町村教育委員会に対し具体的な進退について一定の期限を定めて内申を求め、行政上取り得る最大限の努力をしたにもかかわらず、市町村教育委員会が内申をしないときには、都道府県教育委員会は、市町村教育委員会の内申がなくとも任命権を行使することができると解してよいか

(答) 都道府県教育委員会は、市町村教育委員会に対し内申を求め、最大限の努力を払つたにもかかわらず、市町村教育委員会が内申をしないというような異常な場合には、次の理由により、市町村教育委員会の内申がなくても任命権を行使することができると解する。

(理由) 県費負担職員の任免その他の進退については、都道府県教育委員会は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)第三八条第一項の規定により、市町村教育委員会の内申をまつて行うものとされている。この内申制度の趣旨は、県費負担職員は、市町村の職員として、市町村の設置する学校において、市町村教育委員会の監督の下に職務を行つている者であるから、都道府県教育委員会が市町村教育委員会との協働関係を維持しつつその任命権を行使することが県費負担教職員の人事行政の適正かつ円滑な実施のため必要であるとするものであつて、市町村教育委員会に都道府県教育委員会の任命権の行使を抑制させようという趣旨のものではないと解される。

のみならず、市町村教育委員会は、県費負担教職員の人事行政についての責任の一部を法律上分担しているのであるから、内申をすべき客観的な必要がある場合には内申をしなければならない義務を行政機関として有するというべきであり、市町村教育委員会が行政機関としての義務に反して内申をしないことにより都道府県教育委員会の任命権の行使が不可能となり、県費負担教職員の任命権を都道府県教育委員会に属せしめた制度が正常に機能を果たし得なくなる事態を地教行法自体が合理的なものとして容認しているとは考えられない。

また、都道府県教育委員会は、もとより市町村教育委員会の内申の内容を十分に尊重すべきであるが、同時に県費負担教職員の人事行政を統一的に処理するという見地から、もともと市町村の職員である県費負担教職員の任命権をあえて都道府県教育委員会に属せしめたという制度の趣旨からすれば、必ずしも市町村教育委員会の内申の内容に拘束されるものではなく、都道府県教育委員会は自らの判断と責任において任命権を行使することができると解されてきたにもかかわらず、市町村教育委員会が内申をしない場合には、都道府県教育委員会は任命権を行使することができないと解すると、市町村教育委員会は、その意思を一方的に任命権者である都道府県教育委員会に押し付けることができることとなる。

したがつて、いかなる場合においても内申がない限り任命権を行使することができないと解することは、両教育委員会の協働関係を前提としつつ県費負担教職員の人事行政を行うという内申制度の趣旨と矛盾することとなる。

以上のことから、市町村教育委員会が内申をすべきであるにもかかわらず、なお内申をしないという場合に、県費負担教職員の任命制度が機能しなくなる結果になることを地教行法がやむを得ないとして認めていると解するより、特定の場合には、内申がなくても任命権を行使することができると解することがより合理的であるということができる。

どのような場合に都道府県教育委員会が市町村教育委員会の内申がなくても任命権を行使することができるかについては、次のように解される。すなわち、通常の場合には、市町村教育委員会の内申をまたずに県費負担教職員の任免その他の進退を行うことができないことは「地教行法等の全面的施行について」(昭和三一年九月一〇日初等中等教育局長通達)で明らかにしているとおりである。

しかしながら、都道府県教育委員会が、県費負担教職員の進退について具体的な内容を示し、一定の期限を定めて市町村教育委員会に対して内申を求め、その期限経過後も内申がない場合において、内申がなされない要因を探求し、重ねて内申がなされるよう督促する等最大限の努力を払つたにもかかわらず、なお市町村教育委員会が内申しないという異常な事態が起こつたときには、都道府県教育委員会は、市町村教育委員会の内申がなくても、任命権を行使することができるものと解される。

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